2018年05月09日

植物を育てる行為

菜を育て始めた5〜6年前、まさかおれが野菜を育てるなんて、と照れ臭く思うことがあった。写真を撮る時以外に植物へ目をやることなどなかったからだ。見ていたのはレンズを通して「写真的」にどう収まるかを考えていただけで、生き物を見る本質的な心は育っていなかった。愛犬の晩年を看取り、野菜を育て、最近は「花を買う」なんて衝撃的な行動も始まった。

カメラはあくまでもマシンであり、心は持たない。最高級のカメラとレンズを使ってもむごたらしい汚れた写真だって撮れるし、コンデジであっても人の人生を変えるくらい感動的な写真も撮れる。人がどう感じて写真で表現するか。マシンやテクニックが簡単に手に入る時代では、もはやカメラの性能に頼りきる写真では残す意味すらなくなってきたのではないか。

自分自身写真を撮る目も変わった。植物を育てる行為を通じてさまざまな環境で生きる花たちに目を向けるようになり、むしろそちらの方に力を感じる。「撮る」という自己中心的な写真から「見る」の延長に写真が存在する。


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posted by オガワタカヒロ at 23:15| 宮崎 | Comment(0) | 写真のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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