2018年06月08日

修業時代の話

真を撮って生活できるようになって30年。いくら趣味の写真が上手いっといってもクライアントの要望に応えて、またそれ以上の写真を提供できるようになるまでにはずいぶん時間がかかる。特に広告系のカメラマンは莫大な予算の中で「撮影」というポジションを担うわけで、スチールにしてもムービーにしても重責だ。

1980年代をそのカメラマンのアシスタントとして過ごした僕らは、修業以前に生きることが大変だった。今のようにキチンとしたギャラを払ってくれる人は少なく、たとえ会社に入っても「これでどうやって生活したらええの〜」と嘆きたいくらいのお手当だった。写真学校を卒業して1年だけ「定額」をもらえる会社に入ったが、給料5万円。「仕事を覚えられるのにお金まで頂ける」と教えられ、怒鳴られながら過ごした。だが若さは強い。3つ歳上の先輩アシスタントと毎日の厳しさを自虐ネタで笑い飛ばせるようになった。

暗室で毎日数十本のブローニーフィルムを現像しながら、失敗でもしたらこっそり逃げだすしかないと度胸が付き、撮影で使われた生肉を持ち帰って食料にもした。もちろん写真を撮るために手で形を整えたり、テカリの油を塗ってある肉だ。周りの若者はバブル景気に湧いて浮き足立っている時期に、今思えばすさまじ時代だったなぁ。


先日、同年代の新聞記者氏とSNSでコメントのやりとりをした。懐かしい修業時代の話だ。報道系の人たちもフィルム時代はなかなか際どい写真との関係があったようだが、生活そのものが厳しかった当時のカメラマンアシスタントに、いいか悪いか軍配が上がったようだ。



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「お前はチビなんだからモデルの身長になって背伸びしろー!」(1982年ごろ・テスト撮りのポラロイド写真)






posted by オガワタカヒロ at 23:22| 宮崎 ☁| Comment(0) | 写真のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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